インフォグラフィックで見るダルビッシュと大谷の成績分析
※クリックすると拡大します
日本ハムの先輩にもあたるダルビッシュ有(現・カブス)は日本で圧倒的な成績を残していた。まず、その軌跡を振り返ってみたい。
2004年ドラフト1位で東北高校から入団し、1年目の2005年中盤に先発ローテーション入りを果たす。この年、高卒ルーキーながら5勝(5敗)をマークした。翌2006年から2011年まで6年連続2桁勝利を達成し、日本では93勝(18完封)を挙げている。その間の勝率.710は1000投球回以上に限ると、田中将大(.739)に次ぎ歴代2位の勝率だった。
ⒸSPAIA
勝ち星、勝率以上に圧巻だったのが防御率だ。他球団にライバルも多く、最優秀防御率のタイトルこそ2回のみとなったが、2007年から2011年まで5年連続防御率1点台を記録している。これは2リーグ制以後、史上初の快挙でもあった。また、日本通算防御率1.99と2点台を切っており、こちらも2リーグ制以後、1000投球回以上の投手では稲尾和久以来2人目の記録となっている。
奪三振に目を移すと3度のタイトルを獲得し奪三振率は8.9。ほぼ1回に1個の計算だ。登板数は年間平均23.9。ルーキーイヤーを除き、ほぼローテーションを守ったと言えるだろう。また、1イニングあたりの球数は15.09となっている。
さらに、WHIP(1回あたりどれだけ走者を許すかの指標)は1を切っている。一般的に1.00を切ると大エースとされており、まさにその通りといえるだろう。
入団2年目からローテーション投手として活躍したこともあり、年俸も破格の数字だ。6年目に3.3億円、7年目には5億円と史上最速・最年少で大台を突破している。そして、2011年オフにポスティング制度を利用してテキサス・レンジャーズへと移籍する。その際のポスティングフィーは5170万3411ドル、契約は6年総額6000万ドルとなった。
一方の大谷は花巻東高校から2012年ドラフト1位で日本ハムへと入団。ダルビッシュの背負っていた背番号『11』を受け継いだ。
投手・野手の二刀流でプレーしたこともあり、日本時代の登板数は多くない。5年間で85試合、543回となっており、ダルビッシュに比べ2年間短いものの、どちらも半分以下だ。そのため、勝ち星(42勝)、完封数(7)、奪三振数(624)などはダルビッシュに及ばない。
ⒸSPAIA
防御率、WHIPといった登板回数に左右されない指標を見ても、ダルビッシュに軍配が上がっている。大谷のWHIPは1.076だが、仮にダルビッシュと同じ0.985を残すためには、通算543回で52の走者を減らす必要があった。
また、1イニングの平均球数16.08もダルビッシュと約1球差がある。これらの数字を見てダルビッシュに全く及ばないかというと、そういうわけではない。
大谷がダルビッシュに勝っていた点がふたつある。ひとつは勝率。勝率.737はダルビッシュを上回っている。
そしてもうひとつは奪三振率だ。投球イニングが倍以上違うために、数ではダルビッシュに分があった。しかし、1試合あたりの奪三振数を図る奪三振率は大谷がダルビッシュを上回る10.3を記録。NPBにおいて三振を奪う能力に関しては大谷の方が勝っていたと言えるだろう。
年俸は二刀流のために単純な比較はできないが、3年目で1億円に到達。ダルビッシュの7200万円を上回った。4年目、5年目はダルビッシュと同額となっている。そして、2017年オフにポスティングを用いてロサンゼルス・エンゼルスへ移籍。メジャー契約ではなくマイナー契約のために、約6000万円となっている。
大谷と言えば160キロを超えるストレートが代名詞となっている。一方のダルビッシュも公式記録では160キロに届かないものの、今季のオープン戦でも158キロを記録するなどスピードは十分だ。
ⒸSPAIA
日本時代の平均球速を比べてみると両者ともに、ほぼ右肩上がりとなった。1年目の球速から日本最終年までに大谷は約6キロ、ダルビッシュは約8キロ上昇している。それに伴い体重も増え両者ともに日本最終年は入団時より10キロ近く増え100キロに迫っている。
日本時代の数字を見ると、両者ともに優れた成績ではあるもののダルビッシュに軍配が上がるといったところだろうか。今後、大谷がダルビッシュを超えるパフォーマンスを見せてくれるだろうか。まずは、1年目のシーズンを見届けたい。
※年俸は推定(本文作成:mono)