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「全盲スイマー」木村敬一が再び世界へ、取り戻したい「置き去りの感情」とは

2022 6/10 06:00森田景史
東京パラリンピックで金メダルを獲得した木村敬一,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

世界パラ水泳選手権6月12日開幕

日本パラ競泳界のエースで東京パラリンピック金メダリストの木村敬一(31)=東京ガス=が、再び世界の舞台に戻ってきた。

昨夏に出版した自伝では、軽やかな筆致で自身の半生をつづり、昨秋以降はバラエティー番組で洒脱なトークを披露。「全盲のスイマー」は多芸多才が注目される日々の中で、「勝つことが全て」と信じてきた競技観が大きく変わったという。4種目に出場する6月12~18日の世界パラ水泳選手権(スペイン・マデイラ)では、長く味わうことのなかった「競い合う楽しみ」をかみしめながら泳ぎたいと語った。

木村は先天性の病で2歳のときに視覚を失くした。4歳で水泳を始め、進学のために12歳で単身上京。パラリンピックには2008年北京大会から4大会連続で出場し、ロンドンとリオデジャネイロの両大会で銀メダルと銅メダルをそれぞれ3個ずつ獲得している。

1年延期となった東京大会では得意の100メートルバタフライ(視覚障害S11)で悲願の金を手にし、表彰台の中央で見せた滂沱の涙は記憶に新しい。

それから9カ月余り、その間の木村は合宿を除けば誰の指導を受けることもなく、1人で泳いできた。都内のスポーツジムに入会し、他の会員がインストラクターの指導を受ける横で、高々と水しぶきを上げながらプールを往復し続けた。

この先のキャリアで、競技としての水泳をどう位置付けるのか。水の中で自問を重ねるためだ。「泳ぎながらプールと対話です。『どうですかね』と聞くと、プールから『お前しだいじゃないの』と返ってくる。そんな感じ」。答えは、いまも出ていない。

バラエティー番組出演で得た自己肯定感

東京パラを経た世の中の変化は、肌で感じる。昨夏に出版した自伝『闇を泳ぐ』のサイン会には多くのファンが行列をなした。卓出のトーク力を買われ、テレビのバラエティー番組にゲストで呼ばれることもある。

パラアスリートに光が当たること自体、木村にとっては世の中の前進を実感させる、うれしい手応えだ。バラエティー番組で共演するのは、芸能のプロばかり。プールの中には「こうすれば、うまく泳げる」というセオリーがあった。アドリブ勝負の収録現場にセオリーはない。

冷や汗を流しながらの出演は、競技とは異なる緊張感と自己肯定感を教えてくれたという。「人生にはいろんなパートがあっていいんだ、と思えるようになった」。木村のいう「パート」とは、小説の「第○章」というような意味合いだ。

パラアスリートが世の中に変化を与えられる時期は、ひとまず過ぎた。そう言えるほど、「パラ」はスポーツの一部として人々に受け入れられている。障害者がスポーツというツールを手に社会にとけ込むこと。健常者と呼ばれる人々が、周りに障害者のいる環境を当たり前に思えること。これらはパラアスリートがすでに起こした変化だ。

「この先は」と木村は言う。「社会がこれからも前進し続けるなら、新たな変化は自然と起こる」と。「スポーツというのは『楽しむ』が基本にある。(障害のあるなしに関係なく)楽しめるものを持っている人が多ければ多いほど、その国は豊かだと思う」とも。自分探しともいえるプールとの対話に木村が専念できたのは、「パラアスリートの代表」としての自分を前に押し出す使命感から、解放されたからでもある。

「金しかいらない」と自分を追い込んだ東京パラへの道のり

常に神経を尖らせた東京パラまでの道のりは、金メダルへの強すぎる執着に心が蝕まれ、「病気にかかっていたような日々だった」と振り返る。1日の練習が終わると同時に翌日の厳しい練習を思うと気が滅入り、不眠に悩まされた時期もあった。その頃とは違い、いまは適度に肩がほぐれた日々を送っている。「いい1日だったな、と振り返りながら眠りにつく。そんな幸せを知った」という。

3月の代表選考会に出場し、世界選手権の切符を手にはしたものの、「金しかいらない」の一念に縛られた頃のような、ごつごつした胸のわだかまりとは無縁だ。「これまでは競技を人生の一部としては捉えられなくて。金メダルが取れなければ『人生、もう失敗だ』と。いまは、人生を豊かにするために、体を鍛えて、泳いで、強く速くなっていく-という考え方もあっていいんだ、と思える」。闘志というよりは「泳ぐ喜び」に近い感覚。水を一つかく度に、新たな世界が開けるのを感じる。

2024年パリ・パラリンピックへ向けての決心の腰は、まだ上がらない。「もし、パリを目指すと心が決まったら、1人では泳いでいないと思う。チームの形になって『戦うぞ』という雰囲気を出し始めたら、覚悟を決めたということ。いまは泳ぐこと、トレーニングすること自体がおもしろい。そこから競技力との親和性が出てくれば、目指してもいいのかなと思う」。その前に、今回の世界選手権で確かめたいものが、木村にはある。

5月下旬にポルトガル・マデイラに入った木村は、現地での生活を楽しんでいるという。得意の100メートルバタフライ(視覚障害S11)など4種目にエントリー。テーマは「競い合う楽しみを感じる」だ。

「スポーツだから『競技が楽しいな』と競技会場で思いたい。競い合うことの楽しさを感じられないまま、パラリンピック終わっちゃったので。スタート台に上がったときも、『隣の選手といい勝負ができればいいな』とは思えなかった。それは健全じゃない」。東京パラで表彰台の中央に立ち、君が代が競技場に響く中、木村はいく筋もの涙で頬を濡らした。

自分に並ぶ者がいないという事実、すごい場所に自分が立っているという事実が流させた涙だが、その過程で「楽しむ」という大事な感情を犠牲にしたのも事実だった。

「今回は楽しみながら、戦う気持ちがどれだけ湧き上がってくるのか。それを確かめたい」

世界選手権は、過去に置き去りにした感情を取り戻す戦い、人生の次章を開く戦いでもある。

《ライタープロフィール》
森田景史(もりた・けいじ)1993年に産経新聞入社。2002年から大阪本社、東京本社の運動部記者として、柔道やレスリング、日本オリンピック委員会(JOC)などを担当。五輪は2008年北京、12年ロンドンの2大会を取材。東京五輪・パラリンピックは招致活動と開催準備を取材した。2014年7月から論説委員を兼務。

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