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今こそ振り返りたいモハメド・アリの半生、信念貫き徴兵拒否した「グレイテスト」

モハメド・アリ,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

ベトナム戦争の徴兵拒否でボクサーライセンス剥奪

ウクライナに侵攻したロシアの政府系テレビ局の女性ディレクターが、ニュース番組の放送中にアナウンサーの後方で反戦を訴えるプラカードを掲げたニュースが世界中を駆け巡った。女性は当局に拘束されて長時間の取り調べを受けたものの、罰金3万ルーブル(約3万3000円)で釈放されたことが報じられている。

ロシア国内で反戦を訴えることは相当な覚悟と勇気が必要だったことは想像に難くない。ふと思い出したのが、ボクシングの元世界ヘビー級王者モハメド・アリだ。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と自ら例えた華麗なフットワークとスピードあふれるパンチで初めて世界ヘビー級王座に就いたのが1964年、22歳の時だった。その後もアリは強敵を相手に防衛を重ねたが、一方でアメリカ軍が戦うベトナム戦争は長期化の様相を呈していた。

より多くの兵隊を集めるため徴兵の基準が下げられたが、アリは徴兵を拒否。1967年、アリは禁固5年と罰金1万ドルの有罪判決を受け、世界ヘビー級タイトルはおろか、ボクサーライセンスまで剥奪された。

この時、25歳。ボクサーとして最も充実する時期を棒に振ることになる。当時はまだまだ黒人差別が根強かった時代。タブーを恐れず、派手な言動で注目を集めるアリに対して、白人社会の心理的な抵抗があったのかも知れない。

20代半ばの充実期に3年7カ月のブランク

しかし、「俺はベトナム人に何の恨みもない」というアリの発言は徐々にアメリカ国内でも支持されるようになり、反戦ムードが高まっていく。

1971年、連邦最高裁がアリの有罪判決を破棄。世論の後押しを受け、前年にボクサーライセンスを回復させたアリは3年7カ月のブランクを経てリングに復帰した。ただ、取り上げられたタイトルを奪回するのは簡単ではなかった。ジョー・フレージャーに敗れ、ケン・ノートンにも敗れ、ジョージ・フォアマン挑戦が決まった時は圧倒的不利と予想された。

1974年、40戦全勝(37KO)と飛ぶ鳥を落とす勢いだったフォアマンの強打に耐え続け、8回に見事な逆転KOで世界ヘビー級王座を奪回。この時すでに32歳になっていた。

「キンシャサの奇跡」と語り継がれる大番狂わせを演じてヒーローとなったが、もし、ブランクを作っていなかったら、もっと偉大な記録を作っていたのではないか。スポーツや勝負事に「もし」は禁物だが、そう考えるファンは世界中にいただろう。

アリが「ザ・グレイテスト」と称され、尊敬されているのは、ボクサーとしての実績だけでなく、巨大権力や世論にも臆することなく正義感を貫いた生き様があったからに他ならない。

もし、国の指導者が誤った方向に走り、言論が封じ込められることがあったとしたら、一体どれだけの人が信念を貫いて行動できるだろうか。ロシアの女性ディレクターに敬意を表すると同時に、ロシア国内で反戦世論が高まることを切に願う。

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