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慶応大学野球部・大久保監督インタビュー③「いずれはプロのGMやりたい」

大久保秀昭,ⒸSPAIA
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プロ野球のオープン戦が本格化し、ファン待望の野球シーズンが近づいてきた。今回はシーズン開幕を控えた慶応大学野球部の大久保秀昭監督(49)にSPAIAが単独インタビュー。アマチュア球界で数々の実績を挙げてきた名将が、今季への意気込みやこれまでの野球人生、影響を受けた人物などについて大いに語った。3回に分けてお届けするインタビューの最終回は「今後の目標」について。

第1回、第2回のインタビューはこちら
慶応大学野球部・大久保監督インタビュー①「早慶戦は特別」
慶応大学野球部・大久保監督インタビュー②「忘れられない落合氏の言葉」

広報の経験活きた田澤のメジャー挑戦

――ENEOS監督時代は3度の都市対抗優勝もありましたが、印象深いのは田澤純一のメジャー表明です。

大久保監督(以下、大久保):それも広報の2年間が活きてるんです。中村ノリ(紀洋)がアメリカに行く時の混乱も見てたから、マスコミの方との接し方とか、あの時につながっています。

――会見で田澤と同席して矢面に立ってるのを見て男気を感じました。

大久保:あの時は会社も守ってやろうというスタンスでした。

――会見に至るまで一番注意したことは?

大久保:まず本人がどうしたいのか。メジャーとなった時に批判は覚悟の上だけど、どういう風に進めていけば問題が大きくならないか考えました。9月にプロ全球団に指名回避要望書を出したのも、こちらの勝手な思いです。スカウトの方や球団に対して迷惑をかけることになるので指名しないでくださいと。指名していただいても行く意思がないから枠をひとつ無駄にしますよと。迷惑をかけたくないという思いでやりました。そしたら指名拒否みたいになっちゃって。

――それを受けて会見したんですか?

大久保:はい。

――結果的に田澤はメジャーで活躍してるから正解でしたね。

大久保:地味だけど10年やってるって凄くないですか?都合30億近いサラリーを得てるんですよ。あと1年メジャーでやれば年金も満額もらえるそうです。

――成功者ですね。

大久保:ですよね。トミージョン手術もする中で、彼の純粋な気持ちと、球団のバックアップもありました。行った当時はデニー、松坂がいて、岡島や斎藤隆が来て、人に恵まれてるのもあります。

――今でも連絡は来るんですか?

大久保:毎年帰ってきたら会うし、こないだも渡米前に顔を出してくれたし、慶応のOBでもないのに打撃ケージを2台寄付してくれました。いないでしょ、そんな男。僕に対して感謝の気持ちを持ってくれてるし、ENEOSにもいろんなものを置いてくれてます。

※田澤純一は新日本石油時代の2008年、都市対抗で4勝を挙げて橋戸賞に輝き、プロ注目右腕となったが、メジャー挑戦を希望し、日本のプロ球団に指名しない要望書を送付。強行指名は職業選択の自由を阻害する可能性があるとの見解もあり(日本野球機構とメジャーリーグに所属するチームの間には、互いのドラフト候補選手と交渉しないという紳士協定が存在する)、各球団は指名を回避。同年12月にレッドソックスと契約した。昨年までにメジャー通算21勝を挙げている。

GMは「夢じゃなくて目標」

――慶応に移った経緯は?

大久保:何回かお話はいただいてたんですが、タイミングが悪く、ENEOSの契約もあったんです。前田(祐吉)さんが体調良くない時に「頼むから俺が生きてるうちに慶応のユニホームを着てくれ」と言っていただいて、次にオファーが来たら受けようと思っていました。そしたら僕の前任の竹内(秀夫)監督が体調不良になって任期途中で急遽、退任することになったんです。ENEOSの監督も9年やってたし、縁とタイミングですね。

――前田さんにはユニホーム姿を見せられたんですね?

大久保:見せられました。神宮に何回か来てくれて、俺なんかより立派な監督だとか、褒めてくれるんです。俺のやりたい豪快な野球をやってるし、優勝するときはするから、今やってることをやりなさいと。いろんなことを言う人がいますけど、それが救いでした。1000人から誹謗中傷されても前田さんがそう言ってくれただけで救われます。落合さんもそうだし、そういう方たちが認めてくれるだけで僕は幸せですね。

――今や泣く子も黙る名監督です。

大久保:そんなことないですよ。将来的にはプロ野球のGM的なことやりたいと思ってるんです。次の大きな目標。夢じゃなくて目標です。監督の人選から、ピッチングスタッフとか、レギュラーとか、メジャーのGMのような立場ですね。

――日本球界には本当の意味でのGMはいませんね。

大久保:肩書はGMでも、現場のことは基本的に監督が決めます。社会人の監督はGM兼監督みたいな感じで、やりたい選手、やりたいスタッフでチーム運営していきますけどね。

――どうせやるならプロでやりたいと?

大久保:やってみたいですねぇ。今までは愛社精神や母校愛でやってきたし、甲子園も魅力だけど高校野球の監督の大変さも分かります。でも、それ以上にプロでやりたいですね。

――実際にそんな話があるんですか?

大久保:そんなに甘くないですよ。野球界に恩返ししたい思いが強いんで、人材育成とかも含めて実績をつくりながら、適任な人を探すとなった時に名前が挙がるくらいの立ち位置にいられるように学んでいきたいです。

――そうなった時はまた取材させてくださいね。

大久保:ぜひお願いします(笑)。

大久保秀昭(おおくぼ・ひであき)1969年7月3日、神奈川県生まれ。桐蔭学園高(神奈川)時代は主将として3年夏は県8強。慶大に進学し、4年時に主将として春秋連覇。東京六大学リーグ通算100試合に出場し、打率.269、5本塁打、50打点。日本石油では1年目からレギュラー捕手として在籍5年間のうち社会人ベストナインを4度受賞。96年のアトランタ五輪に出場し、銀メダル獲得。同年秋のドラフトで近鉄から6位指名を受け、プロ入り。2001年オフに現役引退した。プロ通算83試合に出場し、打率.232、2本塁打、11打点。翌年から近鉄球団職員(広報)、湘南シーレックスの打撃コーチを経て、2006年から新日本石油ENEOSの監督として都市対抗3度優勝。15年から慶大監督として指揮を執り、17年秋、18年春に連続優勝。今季で5年目となる。