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大谷翔平が挑む規定打席&規定投球回のWクリア 過去MLB、NPBで達成した選手は?

2022 8/21 06:00広尾晃
大谷翔平,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

大谷翔平に期待される規定打席と規定投球回数の同年クリア

MLBの舞台で投手と打者の両方で出場を続けるエンゼルス・大谷翔平。次なる二刀流記録として話題になっているのが、『規定打席と規定投球回数を同時にクリアすることができるかどうか』だ。

「規定打席」「規定投球回数」は、打席数、投球回数が異なる選手の「率の数字=打率、出塁率、防御率など」を比較し、ランキングするための基準となる数字だ。首位打者、最優秀防御率などのタイトルは、原則として規定打席、規定投球回数をクリアした選手が対象となる。

NPB、MLBともに規定打席は「チーム試合数×3.1」で規定投球回数は「チーム試合数×1.0」となっている(NPB二軍やMLBマイナーリーグ等では別の基準)。ただしこれは1950年代に定められたものであり、それ以前は「規定打数」だったり「規定打席」だったり「出場試合数」だったり、年によってまちまちだった(以下では、便宜的に名称を「規定打席」で統一している)。

ベーブ・ルースが「二桁勝利」「二桁本塁打」を達成した1918年の公式記録では、防御率2.22(166.1回)でア・リーグ9位につけているが、打率は.300(317打数)を記録したもののランキングには名前がない。

翌1919年、ルースは29本塁打を放つ。打率は.322(432打数)でリーグ7位にランキングされている。投手としては9勝を挙げ、防御率2.97(133.1回)を記録するが、防御率ランキングには名前がない。

ベーブ・ルースは「規定打席」と「規定投球回数」を同時にクリアしたことはなかった。ルースだけでなく、1901年にア・ナの二大リーグ制になって以降、MLBでこの2つの基準を同じ年にクリアした選手はいない。

それ以前に遡ると1883年にニューヨーク・ジャイアンツのモンテ・ウォードが打率.255(380打数)でナ・リーグ69位に、防御率2.70(277回)で14位にランクされるなど規定をクリアする「二刀流」が散見される。19世紀のMLBはまだ投打が明確に分業化せず、ローテーションも確立されていなかったのだ。

大谷翔平が今季「規定打席」と「規定投球回数」を同時にクリアすれば、MLB史上初めての偉業達成と言ってよいだろう。ちなみにウォードもルースも野球殿堂入りしている。

NPBでは7人が複数回記録

NPBでは同一シーズンに防御率と打率のランキングにランクインした事例は、30例ある。このうち16例は春秋の2シーズン制で、それぞれのショートシーズンごとにタイトルや記録を決めていた1936年から38年までに記録されている。

1937年春シーズンにはタイガースの景浦将が打っては47打点で打点王、打率.289で4位、投げては11勝5敗、防御率0.93で2位になっている。これが日本の「二刀流」としては最高記録だろう。

1シーズン制になった1939年以降では14例が記録された。100試合前後というロングシーズンを通してマウンドに上がり、打席に立ち続けるのは当時としてもレアなケースだった。

個人で「規定打席」と「規定投球回数」を複数回クリアした選手は7人いる。

同一シーズン「規定打席」「規定投球回数」を複数回クリアした選手,ⒸSPAIA


野口明と野口二郎は有名な「野口4兄弟」の長男と次男だ。1942年に二郎は史上2位のシーズン40勝を挙げ、打者としても規定打席をクリアしていた。二郎の「二刀流」はすべてロングシーズンでのもので、兄の明は捕手と投手の掛け持ちだった。

ちなみに、1944年に産業(現:中日)の野口正明が投打両方の規定をクリアしているが、この選手は野口4兄弟とは無関係だ。そして、一塁守備の名手で「たこ足」と呼ばれた中河美芳は、3回両規定をクリアしている。

1950年の野口二郎の記録を最後に「規定打席」と「規定投球回数」を同じシーズンにクリアした選手は出ていない。NPBも「投打の分業化」が進んだと言えよう。

しかし、「規定打席」と「規定投球回数」を別のシーズンにそれぞれクリアした選手はいた。西沢道夫は戦前に投手として5回、戦後に打者として10回規定をクリア。1950年にデビューした関根潤三は投手として6回、打者としても6回規定をクリアしている。打撃の神様、川上哲治も戦前に1回規定投球回数をクリアしていた(規定打席には16回到達)。

景浦将、野口二郎、中河美芳、西沢道夫、関根潤三、川上哲治は野球殿堂入りしている。

大谷翔平、MLB史上初のWクリアに期待大

選手数が増え、投打の分業がより明確化された1960年以降はこうした事例はなくなったが、唯一、畠山準は例外だった。池田高校時代は投手として甲子園で大活躍したが、1984年に南海で5勝12敗、防御率4.24(153回)で16位になり、93年は横浜で打率.281(493打席)で15位、94年は打率.292(510打席)で13位になった。

NPB時代の大谷翔平は、投手としては2014年に防御率2.61(155.1回)で3位、2015年に2.24(160.2回)で1位と2回規定投球回数をクリアしている。だが、打者としては2016年の382打席が最多で、規定打席に達したことはなかった。

MLBに移籍してからは2021年に537打席に立ち打率.257(45位)で規定打席(502)に到達。今季も到達が濃厚な状況(8月19日時点で491打席)だが、投手としては昨年の130.1回が最多(今季はここまで117回)。162回の規定投球回数はクリアしたことがない。

大谷による前人未到の記録達成が現実味を帯びてきた。しかしそれだけに故障や怪我が気になるところ。今後も「安全運転」でいってほしいものだ。

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